本日の記事では、東京の外資系金融で働いていた私が、渡仏を決意した頃の思い出を取り上げてみました。

私のこれまでの経歴をお話しする過去記事はこちらからご覧いただけます。
1. 『新卒時の思い出』
2. 『事務職時代』
3. 『新たなる目標』
4. 『初めての外資系金融』
5. 『クレディ・リヨネの思い出 その1』
6. 『クレディ・リヨネの思い出 その2』
7. 『クレディ・リヨネの思い出 その3』
8. 『クレディ・リヨネの思い出 その4』

外資系金融はとにかく勤務時間が長く、当時は朝8時半から夜11時まで働いていました。同じチームのフランス人たちは、駐在員なので沢山バカンスをもらえますが、ローカルスタッフの私はそうはいきません。

身長161センチの私ですが、当時の体重はなんと40キロしかありませんでした。金融の仕事は大好きですが、あのような働き方は私には合わなかったんですね。

実はクレディ・リヨネで働いていた時に、「パリで働かないか?」というお話をいただいたことがあったのですが、フランスの金融機関はかなりの学歴社会ですので、もし私がそのままフランスで就職しても、万が一解雇されたら、フランスの学歴を持たない私が次の職を見つけることは難しいことが予想されました。そこで「私が日本でやっているのと同じレベルの仕事をフランスで続けるには、フランスの学歴が必要だ」と考え、パリのビジネス・スクールのMBAを目指すことにしました。

外資系金融の長時間労働を終え帰宅した後、深夜までMBA入学のための勉強をするのはとても大変でしたが、以前の同僚のフランス人トレーダーにとても素晴らしい推薦文を書いてもらえたことや、大切な友人が当時経営していた留学サポート会社のフォローのお陰で、無事、パリのビジネス・スクールのESCPに入学できることになりました。

ESCPにMBA留学した後、私はそのまま日本に戻ることなく、フランスで暮らし続け、既に23年という長い年月が経過しています。人生には節目となる出来事がいくつかあるものですが、私にとってESCPでのMBAはまさに人生最大の節目になりました。あの時、渡仏を決意していなかったら、フランスでの起業も、主人との出会いもなかった、と思うとなんだか不思議な気分です。このブログ記事を書きながら、改めて当時の気持ちを懐かしく振り返ると同時に、「私の人生、これからも更なる節目が訪れるかもしれない」とちょっとワクワクしてきました。