ここ数か月、新しいお客様にお会いする機会が多く、自己紹介をしながら「そう言えば、ブログにも経歴を少しずつ書いていたような気が・・・」と思い、サイトを読み返してみたところ、最後に経歴について書いたのは何と2018年2月でした!かなり昔ですね~。すっかり失念しておりました。
という訳で、本日の記事は、私のこれまでの経歴をお話しするシリーズの第9弾となります。過去記事はこちらからご覧いただけます。
1. 『新卒時の思い出』
2. 『事務職時代』
3. 『新たなる目標』
4. 『初めての外資系金融』
5. 『クレディ・リヨネの思い出 その1』
6. 『クレディ・リヨネの思い出 その2』
7. 『クレディ・リヨネの思い出 その3』

色々考え抜いた結果、私はフロントのオファーを受けることにしました。それまで私がそのトレーダーのせいで辛い思いをしてきたことを、ずっと目の前で見てきたミドル・オフィスの同僚たちは、非常に驚いていました。

私も「数えきれないほど衝突してきたチーフ・トレーダーの元で働く」という点について悩んだのですが、次の転職に備えて履歴書をより強力なものにする為にはこのオファーを受けるのが得策だと考えました。ちなみに、同じチームになった後は、そのトレーダーとの人間関係は大きく改善されました。同じチームになる前に彼が私にきつく当たっていたのは、私に対する個人的な攻撃ではなく、自分のチームの利益を守る為だったのでしょう。

フロントでの仕事は、同じチームのトレーダー達のためだけのブローカー業務でした。金利スワップやスワプションには取引所がないので、相手銀行との相対取引(OTC – Over the counter)になります。外部のブローカーに全て依頼すると手数料負担が半端なく高くついてしまうため、どこの銀行もインターバンクと呼ばれるポジションを内部に置き、取引相手を外部ブローカーを通さずに、なるべく直接見つけられるようにしていたのです。

インターバンクの仕事はまさにスピードが命でした。一度にいくつもの作業を同時進行させながら、耳を研ぎ澄ませ、トレーダーから指示が出たら瞬時に取引銀行を探せるように常にスタンバイしていなければなりません。インターバンクの業務に加え、フロントのP&L作成とミドルオフィスとのやり取りも毎日しなければならず、緊張感が走る中で、膨大な仕事量を毎日夜9〜10時までするのは精神的にも肉体的にも強烈に大変でした。

当時30歳だった私は「これが本当に私が望む働き方、生き方なのだろうか」と悩み、やがて真剣に渡仏に向けた準備へと進んでいくことになるのです。

続きはまた後日(あまり間隔が開き過ぎないように、次回は早めに更新するようにします!)、お話させていただきますね。