本日の記事は、私のこれまでの経歴をお話しするシリーズの第6弾です。過去記事はこちらからご覧いただけます。
1. 『新卒時の思い出』
2. 『事務職時代』
3. 『新たなる目標』
4. 『初めての外資系金融』
5. 『クレディ・リヨネの思い出 その1』

当時、あまりに疲れ切っていたので、パリ出張時の飛行機での行き帰りの記憶が全くないんですよね。でもパリ・オフィスでの出来事はよく覚えています。

初日にパリのトレーディング・ルームのトップのところに挨拶に行った時、開口一番「日本のミドル・オフィスは滅茶苦茶だな。それを解決するために君がここに来たんだ」と言われました。

パリでは、これまでのやり方で東京支社の金利スワップ・デスクのP&Lを計算しながら、新しいP&Lレポートをゼロから作り上げなければならなかったので、時間的に非常に厳しいものがありました。しかも日本とフランスは時差がありますので、パリ時間の朝7時半に会社に行き、東京のスワップ・デスクに電話越しで前日のP&Lについて怒られることから一日が始まり、その後、新しいシートの作成に入り、パリの夕方近い時間からその日の東京のP&Lを計算して日本に送った後、やっと帰宅できる、という感じでした。元々疲れが極限に達していたところ、パリへ出張となり、「毎日の業務にプラスアルファで、1ヵ月以内に新しいレポート作成しなければいけない」ということが重荷になっていたのでしょう。こんなことがありました。

いつものごとく朝7時半に会社に行くと、電話が鳴っています。パリの人ならそんな早い時間にミドルに電話をかけてきたりしませんから、東京のスワップ・デスクのトレーダーからの電話だとすぐ分かりした。恐らくもっと早い時間から何度も何度も電話をかけて、私が出社するのを待ち構えていたのでしょう。

電話に出ると、前日送ったP&Lで腑に落ちない部分をわめきながら指摘されました。訂正版を仕上げて東京にメール再送するまで1時間半くらいかかり、その頃にはパリの同僚たちも出社し始めていました。そこでまたそのトレーダーからの電話です。「これじゃ、まだだめだ。どうしてこんな数字を出すんだ」とまたしても怒鳴られ、私はそのままトイレに直行し、目が腫れる程大泣きしてしまいました。

クレディ・リヨネの東京支店では、どんなに嫌なことを言われても、社内で泣いたことなど一度もなかったのに、パリのホテルに一人ぼっちの出張生活で精神的にギリギリの状態だったのでしょうね。真っ赤な目でデスクに戻った私に「一体どうしたの?」と聞いてきたパリの同僚たちに、「コンタクトレンズが痛くて・・・」と苦しい言い訳をしましたが、その場にいた全ての人が、本当は何が起こったのか分かっていたと思います。

このような生活を送りながら、何とか新しいレポートが仕上がり、それからというもの、フロント・オフィスとミドル・オフィスのP&Lの差はほぼ完璧に説明できるようになりました。当初の目的も果たし、内容の濃い一か月の出張を終えた私は、再び東京での勤務を再開しました。

そして、しばらくすると思いもかけない展開が待ち構えていたのです。続きは次回をお楽しみに。