ここ最近、マーケットが荒れていたため、ブログの更新が滞ってしまい失礼いたしました。

本日の記事は、私のこれまでの経歴をお話しするシリーズの第7弾です。過去記事はこちらからご覧いただけます。
1. 『新卒時の思い出』
2. 『事務職時代』
3. 『新たなる目標』
4. 『初めての外資系金融』
5. 『クレディ・リヨネの思い出 その1』
6. 『クレディ・リヨネの思い出 その2』

前回までにお話しした過程を経て、業務は大幅に改善されました。何しろ以前は夜の10時、11時まで働いても正しいP&Lを計算できなかったのに、パリの出張中に新たに作成したエクセルにより、ランチ前には余裕でチーフ・トレーダーも納得する数字を出せるようになったのですから、まさに劇的な変化でした。クレディ・リヨネ入社から半年が経過した頃の話です。

そんなある日、東京支店長から「話がある」と、直々にお声がかかりました。私がやっていた仕事、つまり東京支店の金利スワップ・デスクのP&Lを計算するミドル・オフィス担当をパリに移そう、という計画があるが、興味があるか?というのです。パリに転勤・・・。魅力的な話ではあります。でも私はお断りしました。

モードや芸術関係では異なるでしょうが、一般的なビジネス界において、フランスは思いっきり学歴社会です。例え当時の私がパリのミドル・オフィスで働くことになったとしても、買収などで人の出入りの激しい金融業界において数年後に解雇されたら、フランスの学歴なしに満足のいく次の職を見つけることは非常に難しいことでしょう。

クレディ・リヨネに入社する前、フランスでの就職を模索した際の情報収集で、日本の学歴しか持たない私が、キャリアに見合った職と年収をパリで手に入れることは困難を極める、ということが既によく分かっていました。「将来はパリで働きたい。でもその前にフランスの学歴を取ろう」ということが、いつしか私の目標となっていました。

さて、話は戻りまして、私の当時やっていた仕事がパリに移される、ということは、私がやることがなくなることを意味します。そこで、支店長とミドル・オフィスの上司は、私のために新たなポジションを準備し始めてくれました。

フロント・オフィスとの関係は随分改善されたとは言え、相変わらずチーフ・トレーダーとの言い争い(私も常にやられっ放し、という訳ではなかったので)は続いていました。そしてある日、そのトレーダーから「ちょっと来てくれ。話がある」と言われ、行ってみると会議室に呼ばれ「実はチーム内の女性が移動することになった。彼女の代わりに俺のチームで働いてくれないか」と言うのです。

それまでの彼の私に対する態度を考えると、このオファーには心から驚きました。動揺してはっきり覚えていないのですが、確かその時の会話は「これまであんなに意地悪な態度を取っておきながら、自分のチームで働かないか、なんてよく言えるわね。信じられない!」「自分のチームを守るのが俺の仕事だ。ミドルのP&Lが間違っていることに怒るのは当然だろう!」といった、決して和やかとは言えない雰囲気で終わった気がします。

フロントへの移動。そしてオファーを出したのは、これまで散々悩まされてきたあのトレーダー。

この件には本当に迷いました。クレディ・リヨネのミドル・オフィスで働き始めてからの約半年、そのトレーダーとの関係に頭を痛め、色々な人に相談してきました。

「雇っておきながらこんなこと言うのは申し訳ないけど、もうこの仕事は辞めて次を探した方がいいよ。いくらなんでも酷すぎる」と寂しそうに言った上司、「どんなに嫌な奴でも、その人と働いて学ぶことがあると思うなら絶対に仕事は辞めるな」と言ったドレスナー時代の元同僚、「あのトレーダーが君に対してどんな口の利き方をしているか僕は見てきた。あんな男の元で働くな」と真剣な眼差しで言った同僚、「フロントに移った方が転職する時に有利になるから、絶対にそのトレーダーからのオファーを受けるべきだよ」と言った同業者の親友・・・。みんながどんなに私のことを心配し、真剣に考えてアドバイスをしてくれたのか、今思い返しても胸がいっぱいになります。

これらの会話をした時の状況、みんなの表情、私自身の気持ちは、15年以上たった今でも鮮明に脳裏に蘇ります。その人の助言とは違う決断を下したとしても、決してそのアドバイスが役に立たなかったのではなく、全ての意見と自分の気持ちを総合したからこそ、最適な決断ができたのです。

年齢を重ねたこともあり、今では誰かに相談することよりも、アドバイスを乞われることの方が圧倒的に多くなりました。相談を受ける時は、あの時、親身に相談に乗ってくれた人々のことをいつも思い出します。そして「あんな風に相手の心に伝わるアドバイスが私にもできるだろうか?」と考えながら一つ一つ言葉を選んでいます。

フロントからのオファーに対して私が下した決断は、次回のブログに続きます。